平成11年8月9日 第一番那智山(青岸渡寺)から始めて・・・ いろいろあって残っていた十ヶ所をやっと平成19年6月10日〜11日に七ヶ所・16日に三ヶ所! やっと西国三十三ヶ所参りを平成19年6月16日(土)に満願できました。バンザーイ・バンザーイ! 納経帳2冊と白衣2着を朱印しました。納経軸は舅(主人の父)が作ってあります。 これで、やり残した事が一つ終わりました。(9年かかって?) |
平成19年6月16日(土)に満願! V |
平成11年8月9日 (8年前)第一番・那智山 |
平成19年6月10日・天の橋立 途中下車 |
平成19年6月10日 第二十三番・御獄山(清水寺) |
平成19年6月11日 第二十一番・菩提山(穴太寺) |
平成19年6月11日 第二十七番・書寫山(圓教寺) 映画「ラストサムライ」の撮影現場 |
平成19年6月16日 第十八番・紫雲山(六角堂) |
平成19年6月16日 第二十一番・菩提寺(穴太寺) 順不同で回りました。満願です。 |
西国三十三ヶ所とは
西国巡礼の始まりについて、次のようなお話があります。 奈良の長谷寺(西国八番)にいた徳道という高僧が急な病気でお亡くなりになり、冥途の入り口で閻魔大王に出逢ます。 「悪いことをする者が増えて地獄は今、定員オーバーじゃ。汝は特に許すから、娑婆(現世)へ戻り、人々を地獄へ来させ ぬように、三十三ヶ所の観音霊場を広めよ」 閻魔大王はこう言うと、徳道上人に三十三ヶ所の宝印を託しました。 しかし当時の人は、なかなか信じてくれません。しかたなく上人は宝塚の中山寺(西国二十四番)に宝印を埋めて、使命 を後世に託しました。 西国巡礼が本格的に始まるのは、花山法皇が宝印を掘り出された二百七十年のちのことだとされています。 その後、西国巡礼は一千年の興隆衰退を経て人々の心に染み入り、現在でも巡礼の総数は、年間十万人を下りません。 |